8月15日は第二次世界大戦の「終戦記念日」であり、同時に中華民国にとっては「対日抗戦勝利記念日」でもある。しかし台湾・頼清徳総統は、自身のフェイスブック投稿で「終戦」にのみ言及し、「抗戦」という言葉には一切触れなかった。
これに対し、医師で時事評論家の沈政男氏は、「終戦80周年を記念する文全体で『抗戦』の語が完全に排除されている」と指摘。これは前総統・蔡英文氏が始めた民進党の歴史観の継承だとしつつも、陳水扁時代にはまだ「抗戦」という言葉が使われていたことに触れた。沈氏によれば、蔡英文氏は「終戦」とは言わず、頼氏が初めて使い始めたとされる。その背景には「親日的な台湾独立の歴史観」があるという。「一つ質問するが、中華民国教育部の国語辞典に『終戦』という言葉があるのか? ないはずだ。これは日本語だからだ」とも述べた。
沈氏はまた、「終戦」という言葉の由来は1945年8月15日に日本の天皇が発した「終戦の詔書」であると説明。実際には無条件降伏を意味するものだったが、「降伏」という表現を避けるために「終戦」と美化したのだという。映画『悲情城市』の冒頭に流れる放送音声が、まさにその「終戦の詔書」の録音であることも指摘した。
さらに、この詔書は日本の中国侵略について一切触れず、アメリカとイギリスに対する戦争を中心に描いており、あたかも「罪」が1941年から始まったかのような印象を与えると批判。実際には、1945年8月15日は日本が中国への侵略戦争に敗れ、中国に降伏した歴史的な日であり、「終戦」と呼ぶべきではないと強調した。
頼清徳氏の投稿が「スタッフによる代筆では」との見方についても、沈氏は「明らかに違う」と否定。頼氏が過去に璦琿条約などに言及したことからも、それは彼自身の「台湾独立の歴史観」の一部だとし、「まるで大学新入生向けの独立運動の教科書のようだ」と批判した。頼氏は「台湾の地位未定論」や「国連2758号決議」に関しても独自の見解を持ち、自信を示しているが、それが今の苦境につながっていると指摘した。
沈氏はさらに視点を広げ、日本の軍国主義の台頭は欧米列強の帝国主義が原因だと述べる。日本が鎖国を解いたのはアメリカの黒船来航による圧力であり、1894年の日清戦争の勝利が日本の膨張政策を加速させたとする。したがって「抗戦勝利80周年」の意義は、欧米帝国主義と日本帝国主義による中国支配の完全な終焉にあり、それは「自由民主主義陣営の勝利」とは別物だと結論づけた。
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