台湾与党・民進党が1年半にわたって準備してきた大規模なリコール(罷免)戦略は、7月26日の第一波投票で大きくつまずいた。次回は8月23日に7人の国民党籍立法委員に対するリコール投票が予定されているものの、リコール運動の勢いはすでに失われつつあり、民進党の打撃は決定的との見方が広がっている。
このような中、投票からわずか48時間後、民進党の林右昌(リン・ヨウチャン)幹事長が引責辞任を表明。しかし、大規模リコール構想を推進したとされる「3巨頭」──頼清徳(ライ・セイトク)総統、卓榮泰(タク・エイタイ)行政院長、柯建銘(カ・ケンメイ)立法院民進党総召集人──はいずれも沈黙を保っている。
民進党の政治文化において、こうした対応は異例といえる。過去には陳水扁元総統や蔡英文前総統が、選挙での敗北や党内の不祥事などを理由に党主席の辞任を即座に表明した例がある。しかし、頼総統は今回、謝罪の言葉すら口にせず、リコール失敗の責任を「台湾を愛する市民」へと転嫁するような発言を行った。
卓院長は公の場に姿を現さず、コメントも一切出していない。柯建銘氏は自身の地元・新竹で行われたリコールが「ダブルで失敗」に終わったことを受けて謝罪の姿勢を見せたものの、進退については言及を避けている。
政界では「頼清徳氏は蔡英文氏とは違う」という声も多く、仮に陳水扁元総統や蔡氏が今回のような状況に直面していれば、そもそも「大規模リコール」という選択肢自体がなかっただろうとの見方も出ている。
大罷免全敗後、卓榮泰行政院長は如何にして小野党支配の国会に対処するのか?
大規模なリコール(罷免)運動が全敗に終わったことを受け、与党・民進党やその支持層である「青鳥」グループ内では様々な分析が交わされている。中でも、「もともと国民党の地盤を攻めるのは難しい」という声も聞かれるが、これは当然の指摘にすぎず、今回の作戦の本質を捉えきれていないとの批判もある。
今回のリコール戦略は、選挙人総数のわずか25%の同意で成立する制度を利用し、「小が大を制する」形を狙ったものであり、頼清徳総統自身が主導したとされている。しかし、過去1年あまりにわたり、民進党元幹部の林濁水氏や政治評論家の游盈隆氏らが繰り返し、「無差別的な大規模リコール戦術には戦略的な欠陥がある」と警鐘を鳴らしていた。
さらに、リコール運動を通じて政界の「混濁を一掃する」という期待や、「台湾国民が憲法制定に関わっていない」という政治的課題、さらには災害時の現場対応をめぐり「屋根に登るのは住民の責任」「国軍は災害救助を担当しない」といった頼氏の過去の発言が相次いで取り沙汰され、指導者としての姿勢に対する批判が高まっている。
民進党政権への批判が強まる中、行政院長(首相に相当)である卓榮泰(タク・エイタイ)氏の責任も問われている。現在、卓院長は公の場で発言を控えているが、それが責任の軽減を意味するわけではない。
過去1年以上にわたり、第一線で「戦う姿勢」を示しながら野党と対峙してきたのは他でもない卓院長だった。国会では、野党の国民党・民衆党(いわゆる「藍白連携」)によって通過した法案や予算案に対し、卓氏は「違憲」と主張し、これを阻止しようと7度にわたって再審議(覆議)を求めたが、結果はいずれも否決。これは台湾の議会史上、前例のない連続敗北であり、今後も同様の展開が続く可能性は高い。
頼清徳(ライ・セイトク)総統が「国会で少数与党の現実」を受け入れられず、卓院長もそれに応じた調整ができない中で、政策は次々と停滞した。特に総予算案において、削減対象の筆頭となったのが地方への補助金であり、地方政府の反発を招いた。
また、国家通信伝播委員会(NCC)の人事案は1年以上も空席のまま放置され、台風災害では総統が現地で国民の怒りを直接浴びる場面も見られた。これら一連の事態は、卓氏にとって「任務を終えるべき理由」と見なされている。
総統には進言できず、国民と苦しみを分かち合うこともできず、国会対応もままならない――。罷免失敗後も、依然として立法院(国会)は「少数与党・多数野党」の構図が続いており、今後も同様の政治的困難が予想される。
注目されるのは、現在議論されている「一律1万元の現金給付(関税還元政策)」をめぐる覆議の行方である。これを再び国会で争えば、卓院長にとって「8度目の敗北」という不名誉な記録が加わることになるのでは、との懸念も広がっている。
「表に出ない」卓院長、内閣改造へ向けた布石か
そもそも卓氏は権力に固執するタイプの政治家ではないとされている。最近、公の場での発言が一切なく“沈黙”を貫いている背景には、内閣改造に向けた準備があるとの見方もある。仮に辞任しなければ、9月の立法院定例会での施政方針質疑に立つことは難しく、面目が立たない。大規模リコールで「全面敗北」という打撃を受けた卓氏が、来年の地方選挙で民進党の旗振り役を務めるなど現実的ではない。
柯建銘総召集人、「災難の震源」との声も
一方で、柯建銘氏の責任も無視できない。昨年2月に新国会が発足して以来、与野党協議の場で主導的役割を果たしてきたが、その手法には批判が絶えない。党内では「柯氏の進める協議は支離滅裂」との声が強まっている。
柯氏は立法院長・韓国瑜氏を見下しているとされ、卓院長に対しても敬意を欠いた振る舞いが見られた。総予算の与野党協議中には、卓氏の目前で席を奪うという「失礼行為」も報じられている。
今回の「大規模リコール」も柯氏が主導したもので、当初提案された「標的を絞った精密リコール案」を却下したのも彼だった。また、政府が国民に一律1万元を支給する政策について、富裕層を除外する「排富条項」の導入案も柯氏の反対で見送られた。
さらに、頼清徳総統による大法官(憲法裁判官)の指名案件では、柯氏が独断で党紀を盾に反対を貫き、最終的に国会の同意を得られなかった。2度目の指名でも、柯氏主導で党内が否決を決定したことで、民進党は「憲法法廷を機能不全に追い込んでいるのは野党だ」という主張材料すら失うことになった。
極めつけは、リコール投票直前の柯氏の発言だ。「リコール投票に行かない者は台湾人ではない」と強い言葉で有権者に投票を呼びかけたが、これが逆効果となり、多くの「不同意票(反対票)」を呼び込んだと見られている。
蔡英文の「抗中保台」はスタイル、頼清徳のそれは「信仰」に近い?
「千金を積んでも得られぬ“早めの判断”」とはいえ、政治指導者には未来を見通す力が求められる。しかし、頼総統にはその力が欠けていた。立法院で与党が少数という「朝小野大(少数与党)」体制は新しい現象ではないにもかかわらず、彼はこの状況下で極端な手段となる「大規模リコール」に踏み切った。
蔡英文前総統は退任前、野党の指導者との対話の場を設けた。最終的に出席したのは民衆党の柯文哲前主席のみだったが、彼女が政局の不安定さを理解していた証左でもある。それに対し、頼総統はそれを完全に無視し、むしろ反対方向へ突き進んだ。
さらに、頼氏の近辺では党内幹部・柯建銘(カ・ケンメイ)氏による、立法院副院長である民衆党の黄国昌(コウ・コクショウ)氏との私的な確執が拡大し、与野党の連携は完全に決裂。結果として立法院での議題連携すら成り立たず、唯一成立した「壮世代法案」すら、総予算審議での対立で無所属議席を喪失するという自滅的な結末を迎えた。
「民の声」とは誰の声か? 頼総統の“選別された国民観”
この一年、頼政権は「敵と味方を峻別する」政治姿勢を強めてきた。民進党やその支持層、さらに「青鳥運動」といった市民団体の間では、「中共同路人(中国と共に歩む者)」というレッテルが濫用され、街中でただ動画を撮っている市民にまで罵声が浴びせられるという異常事態も報告されている。
蔡英文は「辣台妹」、頼清徳は「対決一辺倒」──国民との距離を広げたのは誰か?
蔡英文前総統の「抗中保台(中国に抗し台湾を守る)」は、いわば「トレンドブランド」のような位置づけであり、彼女自身も「辣台妹(スパイシーな台湾女子)」という愛称で親しまれた。特筆すべきは、蔡氏が中国出身の配偶者(陸配)を標的とせず、むしろ新住民(陸配を含む)と「姉妹」のような関係を築こうとしたことだ。
一方、頼清徳政権は明確に「陸配の身分証発行を停止」するよう圧力をかけ、対岸・中国を「境外の敵対勢力」として名指し。さらに、民進党の重鎮・柯建銘(コ・ケンメイ)氏は「刑法第100条」を使って野党議員を処罰すべきだとまで主張した。
頼総統が掲げた「大規模リコール(大罷免)」の運動では、登壇したのはネット上でもほとんど注目されない八烱(バージョン)や「閩南狼」、さらに発言が支離滅裂で柯建銘に匹敵する曹興誠(元UMC創業者)など、民衆との距離が際立つ面々だった。頼氏自身が中選会(中央選挙委員会)の罷免説明会の内容をしっかり見ていれば、この運動の最終日にステージに立たなかったことは「幸いだった」と感じたかもしれない。
問題は「辞任」ではなく「統治の方向性」
頼清徳総統が民進党主席を辞めるか否かは本質的な問題ではない。もっと重要なのは、任期を3年残した台湾の国家指導者として、どのようにこの国を治めていくかを明確にすることだ。
現状を見てみよう。彼が登用している人材──たとえば、衛生福利部の副大臣が「匪賊(中国共産党)を討つには一回では成功しない」と発言したこと、あるいは「大規模リコールの失敗」に直結した人物として王義川や沈伯洋を重用し続けていること──は、国民の信頼を裏切っている。
台湾国民が求めているのは、そんなに難しいことではない。正常に機能する立法院(国会)、常識的な国会議員、責任感のある行政院長(首相)と大統領、そして何より「国民を敵としない」政治だ。
民進党が国民を対立の対象とする限り、民衆は闘うしかなくなる。今こそ頼総統には、自らが何を見誤ったのか、誰を信頼すべきだったのかを見直す責任がある。