社会運動と心理的トラウマの見えないつながり
2025年夏、台湾で行われた大規模なリコール運動は「壊滅的」と評される結果に終わった。その直後から、参加者の一部は持続的な憂うつや不安を抱え、医療機関や心理カウンセリングを訪れるケースが目立ち始めた。
今回の運動は単なる政治活動ではなく、全国を巡る集会やデモ、地域での街宣活動、SNSでのライブ配信などを伴う大規模な社会動員だった。中心となった「青鳥」(台湾の市民運動グループ)は北から南まで活動を展開し、その姿は宗教的な巡礼を思わせるほどだった。
しかし、投票結果が明らかになると、長期間積み上げてきた信念や情熱が一気に崩れ落ちた。参加者の間には、政治的敗北感だけでなく、共通の理想や社会的連帯感、自己価値まで失ったような深い空虚感が広がった。特に深く関与した人々の中には、不眠や不安、うつ症状、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などが臨床的に確認されている。
「ひまわり運動」との違い
2014年に行われた「ひまわり学生運動」(台湾の若者による立法院占拠を含む抗議活動)では、中心メンバーは大学生や20代の若者が多く、社会運動に初めて参加する学生やNGO関係者も含まれていた。多くは独身で生活の負担が比較的軽く、理想や仲間意識で迅速に動員された。運動終了後は落胆があっても、学業や家族・友人の支えで比較的短期間で立ち直る傾向があった。
一方、2025年のリコール運動の中心は35〜55歳の中堅世代。教師、弁護士、医療従事者、エンジニア、公務員、フリーランスなど、中産層や専門職に属する人々が多かった。彼らは時間や情熱だけでなく、家族や社会的評価、キャリア上の立場も賭けて参加していたため、失敗による心理的打撃はより深刻だった。喪失感は若い世代の運動よりも長く続き、回復の速度も遅い傾向が見られる。
青鳥メンバーの感情特性と集団的失落感
リコール運動が失敗に終わると、参加者の感情は高揚から一転して無力感や羞恥心へと急降下した。内部には裏切られたような感覚や社会から孤立した感覚が広がり、反対派や政治体制への敵意が急速に高まった。「なぜ負けたのか」「なぜ社会はこうなのか」という疑問が頭を離れず、不安や不眠、強迫的な思考に悩まされる人も少なくない。これは典型的な「集団的悲嘆」のプロセスだとされる。 (関連記事: 夏一新の視点:台湾若者の市民運動が過激化 街頭の極化で民主広場は闘争の場に | 関連記事をもっと読む )
集団的喪失感の5段階
- 否認(Denial)
運動直後は現実を受け入れられず、「こんな結果のはずがない」と疑念を抱く。不正の可能性まで想像し、事実を否定することで感情の衝撃を和らげようとする。 - 怒り(Anger)
否認が続かないと怒りに変わり、矛先は反対派や社会全体、さらには運動に十分関与しなかった仲間にも向かう。SNSでの罵倒や街頭での口論など、外に向かう感情的反応が目立つ。 - 取引(Bargaining)
「もっと頑張っていれば」「メディアが公平なら勝てた」といった“もしも”の思考に陥る。仮想の状況を想定することで、無力感や自己否定感を和らげようとする心理的反応だ。 - 抑うつ(Depression)
現実を直視した瞬間、深い空虚感と無力感が押し寄せ、社会活動から距離を置くようになる。中には臨床的なうつ症状や不安障害に陥るケースもあり、専門的介入が必要となる。 - 受容(Acceptance)
ごく一部が最終的に現実を受け入れ、生活を再構築し始める段階。失敗を肯定するわけではないが、心理的再建の出発点となる。