台湾総統の頼清徳氏は就任後、「全社会防衛レジリエンス委員会」を設置した。目的は、民間の力の訓練と活用の拡大、物資備蓄と生活物資配送体制の強化、エネルギーや重要インフラの防護、さらに社会福祉・医療ネットワークや避難施設の整備だ。加えて、情報通信・輸送・金融ネットワークの機能維持を確保し、「40万人の信頼できる民間戦力」の構築を掲げている。
内政部の劉世芳部長によれば、この40万人には警察、消防、義警、義消、その他の民間団体が含まれる。現役・退役の代替役が約27万8千人、義消が約4万8千人、義警などの任務チームや民間防災団体が約7万6千人で、合計は約40万人に達する。だが、その半数以上を占めるのは代替役であり、実態面での課題は大きい。予備役招集や代替役の活用、防災士制度の導入で強化を図るとしているが、現場ではその達成は容易ではない。
総統の賴清德(中央)は台湾の民間防衛のレジリエンス強化を掲げ、40万人の「信頼できる民間力量」構築への決意を示した。(写真/柯承惠撮影)
「40万人戦力」の実態は数字合わせか 内政部は2025年から代替役の現役・予備役に対し、防災士訓練コースを追加する計画だ。修了者には内政部が防災士証を発行し、社会全体の防災力向上を目指す。また、2025年3月には「代替役退役後の召集・勤務実施方法」を改正し、召集期間や回数、日数を柔軟に調整できるようにする方針だ。退役から9年を超えた代替役も対象に含め、年間60日という勤務召集の上限も撤廃する予定である。
台湾は自然災害の多発地帯であり、中国の軍事的脅威にも直面している。大規模災害と戦時被害の双方に備える必要があるが、内政部はあくまで「戦時動員」とは位置づけず、自然災害対応を中心に据える。制度設計には日本の「防災士」モデルが参考にされており、阪神大震災後の調査で示された「自助7割・互助2割・公助1割」の比率を踏まえた地域防災力の向上が狙いだ。
政府は教召の範囲を拡大し、代替役を動員の中心に据えている。(写真/張曜麟撮影)
訓練現場の実情 眠る受講者と形骸化するカリキュラム 現役・予備役の代替役に行われる防災士コースは15時間で、応急処置、職務・任務の概要、国内の防災体制、近年の災害事例、避難所設営、防災計画の実施と検証などが含まれる。しかし『風傳媒』の取材によれば、講義中に多くの参加者は眠り込み、実技訓練で真剣に取り組む者はごくわずかだったという。内政部認定の講師も「現状は人数を稼ぐための数字合わせに過ぎない」と苦言を呈している。
さらに、3日間の教召カリキュラムでは担当講師が複数いるにもかかわらず内容の重複が多く、1日目の教材が3日目にも使い回されることもあった。学科試験は是非式や択一式だが、あまりに簡単で誤答する方が難しいレベルだ。選択肢の半数は「以上すべて」が正解になるなど、時間を過ごせば防災士資格が得られる実態が浮かび上がっている。果たして、こうした形だけの訓練で「信頼できる民間戦力」と呼べるのかが問われている。
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多くの代替役が講義中に横になり、実技への姿勢も消極的で、時間を満たすだけで「防災士」資格が得られる状況だった。(写真/柯承惠撮影)
自主対応隊「T-CERT」の導入と浸透の壁 さらに、政府は2024年から「台湾民間自主緊急対応隊中間計画(T-CERT)」を始動し、義務役のカリキュラムにも組み込んでいる。計画期間は2024年から2029年で、初年度は重要インフラ職員を中心に、全国で年間80隊以上を結成。6年間で4段階に分けて計320隊、計8000人の初動対応員を養成する。訓練内容は、評価、マーキング、探索、救助、救護の5分野に及ぶ。
ただし、代替役もT-CERT訓練を受講しているにもかかわらず、この「8000人」には計上されていないことが判明している。関係者によれば、代替役が復帰後に基礎知識を持ち帰ることを期待しているという。各隊は今後も年1回の再訓練を行い、重要インフラ防護を強化しつつ、企業にも段階的に拡大していく予定だ。
今年の台南・高雄豪雨では、成功嶺から派遣された代替役が救助に参加し、災害時にどのような役割を果たせるかを示した事例もあった。しかし現場の声では、「T-CERT」という概念は台湾ではまだ浸透しておらず、制服姿で説明しても詐欺と誤解されることがあるという。
政府はT-CERT計画を民間に推進しているが、詐欺と誤解されることもある。(写真/国防部提供)
国土防衛隊を設けない台湾 米国の提案にも消極的 天災や戦災の脅威に直面する中、頼清徳政権は「全社会防衛レジリエンス委員会」を設立し、国軍が前線で戦い、地域は民間戦力で備える体制を描く。しかし、現行の「信頼できる民間力量」育成は形ばかりで、実効性に疑問が残る。台湾は予備役、代替役、義消、義警、防災士などを組み合わせた防災・防衛ネットワークを志向するが、ウクライナのような国土防衛隊創設には否定的だ。米国からの提案も受けているが、政策転換は見られない。
一方、ロシアの侵攻を受けたウクライナでは、国土防衛隊(TDF)が住民に射撃や都市戦、対戦車兵器の運用など戦時技能を体系的に訓練し、社会基盤を支えてきた。TDFは2014年からロシア軍の都市占領阻止を目的に訓練を実施し、正規軍に合流できる軍事教育も提供。地域の民間防衛組織と連携し、2022年以降は全国各地で新たな防衛組織が誕生している。
ウクライナの国土防衛隊は、戦時下で社会の運営を支えた。(写真/AP)
鍵は「自主性」 李喜明氏の提言 地方防衛組織は元軍人など戦闘経験者が主導することが多く、国土防衛隊と協力して訓練効果を高める。基礎訓練から実弾射撃、地形理解、軍事地図の読解、緊急医療、都市戦、近接戦闘、狙撃まで幅広く網羅し、地域に根ざした即応力を発揮する点が強みだ。
重要なのは「自主性」である。住民が自ら国を守ろうとする意志を持てば、その結束力は計り知れない。しかし台湾の国防部や内政部による招集は多くが強制的で、参加者の士気は低く、訓練効果を損ねている。
元参謀総長の李喜明氏も著書『台湾の勝算』で国土防衛隊の創設を提案している。李氏は同部隊を陸海空軍に並ぶ「第4の軍種」とし、上将クラスが司令を務めるべきとする。隊員は志願者で構成し、指導は現役または退役の特戦部隊将校が担当。都市戦や独立作戦能力を必須とし、平時は災害救援、戦時は都市防衛とゲリラ戦を任務とする。装備と訓練は簡素化し、機動性を重視すべきだと訴えている。
ウクライナ国土防衛隊、米国民兵、李喜明氏が構想する国土防衛隊の比較。
「自治」とは異なる中央・地方の防衛運用 台湾では「全国総力」の運用が強調されているが、その具体的な方法は国防部と内政部に分かれており、一貫して全権を握る主体が存在しない。現在、漢光演習では陸軍206旅の全旅動員が行われ、代替役の拡大教召や防災士訓練、T-CERTプログラムなどが推進されている。これらは一見するとウクライナの国土防衛隊の取り組みに近いように見えるが、指導権限の分散が進捗の足かせとなっている。
内政部による代替役教召は、あくまで民間防衛を主眼としており、国防部の防衛作戦後備部隊と同一の性格を持たない。これまで台湾で国土防衛隊に関する研究や計画は一度も実施されていない。国防部は後備部隊の計画において、従来より自主参加を奨励しているが、国土防衛隊を創設するとなれば、法制度の修正が避けられないだろう。
台湾がサムミサイルなどを運用する国土防衛隊を設立すれば、政治的懸念が一つの課題となる可能性がある。(写真/柯承惠撮影)
政治文化と制度上の障壁 国防安全研究院の蘇紫雲・防衛戦略資源研究所長は、国防部の後備軍人は訓練内容の充実化を図るものであり、国土防衛隊とは本質的に異なると説明する。内政部の代替役訓練は民防に特化しており、義警や義消の制度は調整の可能性があるものの、新たな国土防衛隊創設には別の制度的設計が必要だという。
蘇氏は、仮に国土防衛隊を編成する場合、軽装兵力とし、月1回の集中訓練で済む形態も考えられると述べる。日常生活では各分野で働き、有事や災害時に即応できる体制が理想だ。台湾では『警械条例』が機関銃等の装備を認めているため、主体は内政部が適任とされる。義警や義消が自発的参加によって形成されてきた事例も、この考えを裏付ける。
ただし、ウクライナの国土防衛隊のように刺針ミサイルやジャベリンミサイルなどを運用するには、台湾特有の政治文化における制約があり、導入は第二段階以降になる可能性が高い。
台湾がサムミサイルなどを運用する国土防衛隊を設立すれば、政治的懸念が一つの課題となる可能性がある。(写真/柯承惠撮影)
軍文化の保守性と市民防衛意識の不確実性 国防部が現在、国土防衛隊を設立していない背景には、政治的な懸念もある。特定の政治勢力、特に「独派」の民兵組織と化すリスクや、軍文化に根強い「戦闘は軍人の職務」という考え方が障壁となっている。さらに、志願者の不足は防衛意識全体の低下を招き、国際社会が台湾支援をためらう要因になり得る。
また、台湾における一般市民の防衛意識の実際の水準は不明確だ。ある軍高官は、現行の陸海空軍と憲兵、後備部隊は『国防法』や『国防部組織法』に明確な定義があり、国土防衛隊の設立は不可能ではないが、大幅な組織構造の変更を伴うと指摘する。
この高官によれば、現行の『民防法』では、ミリシアや義警・義消は防衛活動を行うものの、作戦任務は担わず、国際的にも戦闘員とは認定されていない。台湾防衛戦の構造は陸海空軍と後備動員部隊を中心に整備され、後備部隊は近年大きく変化してきた。将来、国土防衛隊を作戦と民防の両面を担う組織とする場合、多機能性が求められ、『武装衝突法』の枠組みにおいて正式な作戦部隊とみなされる必要がある。そのためには制度再編が不可欠だ。
『武装衝突法』は、「合法な戦闘員」として認められる条件として、国家の武装部隊に従属していること、明確な指揮系統があること、固定的かつ識別可能なマークを着用していること、武器を公然と携行していること、そして戦争法規を遵守していることを挙げている。
民防法は義務役、義警、義消を民防活動に位置付けており、戦闘員とはみなしていない。(写真/張曜麟撮影)
全社会レジリエンスの限界、台風で台南は大打撃 専門家は、ウクライナが国土防衛隊を保有している一方で、台湾は制度も文化も大きく異なると指摘する。改善を否定するものではないが、本格的に導入するなら防衛システム全体の再設計が必要になるだろう。ウクライナの事例は一部で参考になっても、そのまま台湾に適用できるとは限らない。
賴清德政権は全社会のレジリエンス強化を掲げるが、市民の防衛意識や軍の保守的文化との間に理想と現実の乖離が存在している。賴氏の地盤である台南では、豪雨による大規模な浸水や停電が発生し、災害対応力の脆弱さが露呈した。中国の軍事的圧力が続く中、台湾は国内外の課題を抱えながら、防衛と民防の一体化、そして結束の強化が急務となっている。