アメリカのドナルド・トランプ大統領は今年4月2日、自ら「解放の日」と呼ぶ日に、世界に向けて関税を突きつけた。彼が署名した大統領令第14257号は、「相互関税による貿易調整を通じて、長年続くアメリカの大規模な物品貿易赤字を是正する」という内容で、トランプ氏はこれを「アメリカ経済の独立宣言」とも位置づけた。
しかし、関税導入の理由は単なる貿易赤字の是正にとどまらない。中米カナダに課した「フェンタニル関税」、ブラジルの前大統領ジャイール・ボルソナーロ氏を法的に追及するための関税、さらにインドのロシア産原油購入に対する懲罰的関税など、トランプ氏は関税を他国への圧力手段として頻繁に活用している。こうした手法は、北京が用いる経済的威圧と酷似しており、「アメリカを再び偉大にする」どころか、長年築いた反中国包囲網を自ら崩壊させかねない。
2025年4月2日、米ホワイトハウスのローズガーデンで新関税を発表するトランプ大統領とラトニック商務長官。(AP)
『ブルームバーグ 』のエダニエル・テン・ケイト編集長 は、最近のインドへの50%関税を「強引な外交」と表現し、中国の経済的脅迫と非常によく似ていると指摘する。皮肉なのは、2020年2月にトランプ氏がインドを訪れ、ナレンドラ・モディ首相の地元で10万人以上を前に演説し、「ある国は強要や威嚇、侵略で力を求め、もう一つの国は人々を解放し、夢を追わせることで台頭する」と語ったことだ。当時の「前者」は中国を指していたが、今やインド側から見れば「前者はアメリカ」と受け止められかねない状況である。
アメリカとインドの関係は急速に悪化し、トランプ氏は「インドとロシアが何をしていようと気にしない。それで経済が沈むならそれも構わない」とまで発言している。結果として、アメリカが10年以上かけて築いてきたインドとの協力関係という重要なバランスは、中国側へと傾きつつある。
米大統領トランプ氏とインド首相モディ氏の巨大ポスター。(AP)
ケイト氏は、トランプ氏がわずか数日で、アメリカが10年以上かけて築いてきた対中包囲網を自ら崩し、その結果、インドという重要な戦略的カードを北京に渡したと指摘する。トランプ氏の強引な外交手法は、これまでアメリカや同盟国が長年にわたり中国に対して非難してきた経済的威圧と本質的に同じだ。たとえば中国は、領土問題を理由に日本への希土類供給を停止し、THAADミサイル配備を理由に韓国製品をボイコット、新型コロナ起源を巡る対立でオーストラリア製品を輸入禁止にし、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞後にはノルウェー産サーモンの輸入を制限、さらに企業が台湾を「国家」と表記したことに罰を科すなどの前例がある。
アメリカ主導のG7は、こうした経済的脅迫に対抗するため協調してきたが、トランプ氏はむしろ習近平氏の外交的「いじめ」手法を模倣し、それを新たに築こうとしている。かつて国務長官だったマイク・ポンペオ氏は、中国共産党について「ソ連の失敗を繰り返し、潜在的な同盟国を遠ざけ、国内外の信頼を損なっている」と批判していた。しかし皮肉にも、トランプ氏は関税とSNSでの短絡的な発言を駆使し、自ら中国の失敗例を実演しているかのようだ。
要するに、トランプ氏は気に入らない相手に対し、大雑把な「対等計算式」を持ち出し、短い投稿で威圧し、高関税を課して従わせる。
中国の習近平国家主席とインドのモディ首相。(AP)
戦略的視野よりも即時的な戦術的成果を優先し、過去の米政権が時間をかけて築いたインド・ロシア関係の微妙なバランスを崩壊させている。インドは長年、安価で入手しやすいロシア製兵器に依存し、ロシア製ミサイル防衛システムで国境を守り、安価なロシア産原油でインフレを抑制してきた。こうした状況を黙認してきたのは、モディ首相とアメリカの協力が中国封じ込めに不可欠だったからだ。
しかし今や、インドとの協力による対中戦略は、トランプ氏にとって「ウクライナ戦争終結によるノーベル平和賞受賞」という自己の政治的野望に劣る。習近平氏は希土類という切り札を握り、モディ首相はトランプ氏の高関税に苦しみながら、ほぼ意味を持たないノーベル賞レースの犠牲になっている。ケイト氏は、モディ首相の「最大の罪」は、トランプ氏による印パ紛争の調停を拒否したことだと指摘。その結果、各国がトランプ氏をノーベル賞候補に推す中で、モディ首相の立場は一層際立ち、トランプ氏の受賞可能性を低下させただけでなく、インドがプーチン氏への圧力発散の矛先になっている構図が浮かび上がった。興味深いのは、トランプ氏がプーチン氏やロシアには強硬策を取らない一方で、インドがロシア・ウクライナ戦争の深刻な影響を受けているという現実である。
ロシアのプーチン大統領がインドを訪問し、モディ首相と握手する様子。(AP)
さらにケイト氏以外にも、イェール大学講師で元『インディアン・エクスプレス』副編集長のスシャンティ・シン氏は、『フォーリン・ポリシー』 誌への寄稿で、トランプ氏の「アメリカ・ファースト」政策がインドの対中戦略的な防波堤を奪ったと指摘している。現在のニューデリーの計算では、ワシントンの不安定で信頼性の低い約束よりも、北京への歩み寄りのほうがコストが低いとみられている。こうした判断が、インドの地政学的な立ち位置を根本から変え、「戦略的自立」よりも現実的な屈服を選ばせているという。
モディ首相は今年9月に北京訪問を予定しており、過去半年を振り返れば、国家安全保障顧問アジット・ドヴァル氏、国防相ラジナート・シン氏、外相スブラマニヤム・ジャイシャンカル氏が相次いで中国を訪問、関係正常化の約束で締めくくられてきた。背景には、中国がパキスタンに衛星情報を提供し、過去5年間でパキスタン側の軍事調達の81%を供給している事実がある。にもかかわらず、インドがパキスタンを公然と非難する際に中国の関与を口にすることはない。インド太平洋の新たな戦略盤上で、ニューデリーは北京と対峙し続けるよりも、中国の地域的主導権を事実上受け入れる方向に傾いている。
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中国の習近平国家主席と彭麗媛夫人がインドを訪問し、モディ首相と会談。(写真/インターネットより引用)
インドの戦略転換は、いくつかの具体例にも表れている。台湾の大手企業フォックスコンが今年7月、インドのiPhone工場から300人以上のエンジニアを撤退させ、Appleによるサプライチェーンの中国依存脱却とインドでの生産拡大計画を妨げた件では、北京が多国籍企業に圧力をかけ、最終的な供給網の支配権を握っていることを示唆した。しかしインド政府はこれを「Appleとフォックスコン間の商業的問題」と軽く扱っている。
さらに、中国は希土類磁石、トンネル掘削機、特殊肥料の通関を厳格化。これらはそれぞれインドのEV産業、ムンバイ–アーメダバード間の高速鉄道計画、そして食料安全保障に不可欠な資材だ。それでもインド政府は対抗策を講じず、「状況を監視しつつ輸入業者が代替調達を自主的に行うべき」とする立場を取り、むしろ中国企業投資の規制緩和を提案している。
一方、英『フィナンシャル・タイムズ』によれば、米国防総省は豪州と日本に「台湾有事の際の具体的な行動計画」を提出するよう求め、同盟国を不意打ちにした。この「有料参戦」のような姿勢は、シン氏によれば、インド政府にとっても警戒すべきシグナルであり、トランプ氏から同様の最後通牒を突きつけられる事態を恐れているという。インドの中国接近は、単なる楽観やリスク軽視ではなく、米国から安定した支援が見込めなくなった結果の現実的な計算であり、個別対抗のコストがあまりにも高くつくことを意味している。
2025年8月7日、パープルハート記念日の式典に出席するトランプ大統領。(AP)
ニューデリーの視点は、「戦略的自立」から「二害相権取其軽」へと変わった。中国との交渉は必ずしも対等ではないが、少なくとも「越えてはならない一線」が予測できる。インドがチベット、台湾、南シナ海における中国の核心的利益を尊重する限り、両国は表面的な正常関係を保ち、一時的な安定を得られる。一方で、トランプ政権下の米国は不確実性に満ち、従順であっても見返りはなく、抵抗すれば制裁を受ける構造だ。
シン氏は、インドが北京に歩み寄るのは中国を信頼しているからではなく、米国が引き続きインド太平洋で中国封じ込めの負担を分かち合うことを信頼できないからだと結論づける。トランプ氏は、中国が長年達成できなかった目標──「戦略的対抗」より「現実的屈服」が合理的な選択肢になる状況──を作り出した。それはインドにとどまらず、中国の野心に対抗するため米国を頼みにしてきたすべての国に波及しうる。インドの変化は、まるで「鉱山のカナリア」のような警告であり、トランプ氏が同盟国を安心させる術を学ばない限り、地政学のプレートは永続的に動いてしまう可能性があると警鐘を鳴らしている。