台風ダナスが南部を襲い、家屋の損壊や道路の寸断を引き起こし、数週間にわたる救援の遅れと復旧の混乱をもたらした。この災害により中央と地方の統治の欠陥が一層明らかになり、静かでありながら現実の統治の断層を浮き彫りにした。極端な気候が常態化する中、台湾の災害防衛システムは次の衝撃に耐えられるのだろうか。頼清徳総統の地元である台南での災害後の復旧の遅れと混乱を考えると、これは単なる風水害ではなく、制度の基盤を脅かす警鐘だ。
災害防衛の常規によれば、災害状況が地方の対応能力を超えた場合、中央はただちに部会を跨ぐ調整を開始し、現地に前進指揮所を設立し、国軍や公共事業部隊、清掃団体と物資を統合する必要がある。しかし、台南の前進指揮所は23日も経ってから設立され、貴重な復旧期をほとんど失った。中央と地方政府は一体何が問題だったのか。
台南は頼清徳総統(中央)の地元であるが、今回の中央と地方政府の救援活動の効率は大きな疑問を投げかけられている。(写真/台南市政府提供)
被災者支援の待ち時間延び続け 指揮所の運営は行き詰まり 関係者によれば、この空白期間中、渓北や沿岸部の被災が甚大な集落は自力で救援に当たるしかなく、道路は7日間封鎖されたままだった。中央政府はヘリコプターを派遣しての調査も行わず、高空からの映像による道路封鎖や浸水状況の把握もなかったという。多くの被災者は立法委員らに対し、投入される資源の優先順位が判断されていないと不満を訴え、村里長は自らバイクや重機を運転して道路の障害を取り除き、土嚢を運び、排水を確保するなどの作業に追われ、「待ち続けるうちに気持ちが冷めてしまった」と語った。
台南市議員の蔡育輝氏は、中央の指揮所がようやく現地に入ったものの、実態は行政窓口のように報告の受理やデータの送信にとどまり、即時の指示や調整は行われなかったと指摘した。作業班の調整や清掃車両の派遣、国軍の投入など、すべてが段階的な承認を要し、現場の問題に対する回答は「もう少し待ってほしい」というものばかりで、実際には堂々巡りのように事態が停滞していたという。
中央と地方政府の救援・復旧の動きが鈍く、多くの住民がまず自力で対応した。写真は台南市七股区。(写真/顏麟宇撮影)
中央救援の遅さ 地方政府の計画不在 関係者によれば、台南市政府は被災者支援のため「合同サービスセンター」を設置したものの、養護制度の形を取り、各局処からの派遣は平均2、3人、多い日でも1日1人のみの場合があり、しかも日替わりで人員が交代していた。そのため被災者は毎回同じ被害状況を繰り返し説明しなければならず、現場側も新任者への研修を何度も行う必要があった。一方で区公所間の横の連携は不十分で、ボランティアが自主的に現地入りしても、器具の在庫確認や配分が間に合わず、ただ待たされる場面が多かった。側溝の泥土除去、修繕作業の調整、補助金申請などの手続きは混乱し、住民が「申請できる」と案内されても、方法や必要書類を説明できる者はおらず、情報は断片的に分断され、全体を把握する責任者がいない状態であった。
台南市の黄偉哲市長(中央右)が救援活動を指揮したが、その統治能力には疑問の声が上がっている。(写真/台南市政府提供)
貴重な防災経験が記録に残らず 市長の慰問が目立つ台風大事記 台南市議員の李宗翰氏は、「今回の風害で明らかになったのは救援の不十分さだけではなく、体制に学習能力がないことだ」と厳しく指摘した。氏の質疑の焦点の一つは、災後に市政府が提出した「大事記」である。7月4日から8月4日までに計77件が列挙されているが、そのうち約20件は黄偉哲市長が同行しての現地視察や慰問であり、副市長が会議を主催した回数の方が多く、両者合わせて27件に上った。一方で、実際の災害対応に直結する重要な行動は大きく欠落していたという。
李氏は具体例として、7月6日の白河ダム放流が記録されていないことや、翌7日深夜の最大風速時に消防・警察隊が出動後、強風のため帰還できなかった事例を挙げた。これは戦力保持の重要な教訓であるにもかかわらず記載がない。また、7月8日に中華電信の通信車、シャワー車、給水車が到着した件は数は限られていたものの、将来の事前配置に活用できる資源であり、7月9日に帆布の需要が出され、翌10日に後壁区公所が初の帆布屋根修繕を完了した件も継続的な対応力を測れる事例であるが、いずれも記録から漏れていた。さらに、7月11日に多くの義勇消防隊員や中央からの人員が現地入りし、数百戸の屋根修繕を完了した出来事についても、市政府の記録には「市長慰問」とだけ残されていた。
李氏は「私はこの大事記が将来の参考となり、他の県市で災害が発生した際にすぐ活用できるものになることを期待していた。しかし、7月28日や8月2日の記録を見ると、市政府は市街地の浸水すら記し忘れており、完全に理性の糸が切れた」と憤りをあらわにした。
議員は、災害後に市政府が提出した風害の「大事記」において、多くの重要な経験が記録されていない一方で、「市長慰問」だけは漏れなく記載されていると批判した。(写真/台南市政府提供)
災害後の補助を望む地域社会 資源は派手な活動に流れる 台風通過後、台南各地では長時間にわたって停電が続き、防災システムはほぼ機能不全に陥った。台南市議員の沈家鳳氏は、里長の広報放送には無停電装置がなく、警察機関や区公所も同様に暗闇に包まれ、被害報告は遅延し、排水ポンプには予備電源がないため停電と同時に完全停止、防洪設備は瞬時に無力化されたと指摘した。物資や防災器具の配布も混乱し、被災者が防水用の土嚢を求めても区公所が閉まっており、防洪の好機を逃した。市街地には台風ごみが山積し、清掃隊や区公所職員の姿は初動で見られず、警察や住民が自主的に搬出。廃棄物処理の責任は曖昧で、工務局、環境保護局、清掃隊、区公所、里長が互いに責任を押し付け合い、台風廃棄物処理の明確なSOP(標準作業手順)は存在せず、ごみは増え続け、二次的な環境被害(人間活動によって自然環境が変化し、生態系や人間生活に悪影響を及ぼす環境問題)が発生した。
中央の調整により、国軍が被災地に入り物資運搬や廃棄物処理を支援し、一部の人員不足は補われた。しかし、戦時に軍が本格的に作戦行動に移れば、救援活動は主要な支援力を失うことになり、今回の台南の対応を見る限り、「全社会防衛の強靱性」は極めて脆弱であることが露呈した。皮肉にも、頼清徳政権が主導し初めて実施した「全社会防衛強靱性演習」は、まさに氏の地元で行われたが、実際の災害に直面するとたちまち破綻したという。関係者によれば、災害前から一部の地域では政府補助を活用し、段階的に民間の防災ネットワークを構築して強靱性を地域の自助能力とする構想があったが、このような実務的で派手さのない提案は補助審査で評価されにくく、資源は最終的に見栄えのする観光イベントや地方創生計画へと流れていったという。
台南風災で屋根の瓦が損傷し、粉塵問題が発生。(写真/台南市政府提供)
台南治水効率の遅れ 監査部報告で明白に 台南は、前瞻治水予算の恩恵を受けた上位3県市の一つで、嘉義、高雄に次ぐ規模の配分を受けている。しかし、審計部の総決算審査報告によれば、未執行率は31%に達し、高雄と並んで全国最遅だった。2024年には台南で浸水通報が632件寄せられ、平均冠水時間は492分。国土署が補助する雨水下水道整備計画でも、台南は199.13キロメートル分の補助を得ながら、執行率は全国ワースト2位だった。民衆党の黄国昌立法委員は「最も多くの予算を受け取りながら、実行は最も遅く、浸水は増える一方だ。民進党政府は南部に説明責任を果たすべきだ」と批判した。
中央指揮所の対応の遅れから、地方の不十分な対応と緩慢な行政に至るまで、今回の台南の風害は台湾の災害対応能力の「二重の失能」を映し出した。中央は即応力と権限委譲を欠き、一部の地方首長は主体的な指導力や統合力を持たず、防災投資は後回しにされ、治水予算の執行効率は低迷。基層の対応は停電と資源混乱の中で全面的に崩壊した。
深く省みるべきは、極端気象の脅威はもはや未来の話ではなく、すでに進行中であるという現実だ。さらに戦争リスクも懸念される中、中央と地方がなおも見かけ倒しの「防衛強靱性」に満足し、いざという時に対応が後手に回り責任を押し付け合うようでは、次の災害はインフラを破壊するだけでなく、政府への国民の信頼をも根底から崩壊させることになる。