教皇フランシスコ(Pope Francis)が4月21日に逝去し、バチカンが台湾の欧州唯一の友好国であることから、頼清徳総統は積極的に教皇の葬儀に自ら出席する機会を求めていた。前総統の陳水扁氏や馬英九氏の訪問前例に倣い、バチカン側と交渉を重ねていたが、外交部の呉志中政務次長は「プレッシャーが大きい」と率直に語った。この発言からまもなく、状況は急変し、政府は前副総統の陳建仁氏を台湾代表として教皇葬儀に派遣することを決定した。なぜ頼清徳総統はバチカン訪問を熱心に申請したのに、結局は陳建仁氏を派遣する結果になったのか?
中台の外交的駆け引き、バチカンは米中の狭間で
情報筋が『風傳媒』に明かしたところによると、我々がバチカンに頼清徳総統の派遣を提案して断られた後、「次の候補」として蕭美琴副総統を提案したが、これも承認されなかった。バチカンに行くにはイタリアの首都ローマに飛ぶ必要があるが、イタリアも反対の姿勢を示し、たとえ蕭美琴氏がローマに到着しても、バチカンに入ってフランシスコの葬儀に参列することはできない状況だった。
フランシスコが教皇に就任して以来、「中国とバチカンの国交樹立」の噂が度々流れた。外交筋では、バチカンの匿名の外交高官が「バチカンは米中の力関係の間で板挟みになっている」と苦悩を漏らしていたという。北京はバチカンに台湾との断交を求め、中国との国交樹立と引き換えにするよう要求している。一方、バチカンは「まず北京に大使館を設置すること」を条件に、その後の台湾との関係について協議したいとしている。このことは、中台の外交的競争が、この聖地バチカンで激しく展開されていることを示している。

頼清徳が拒否された最大の要因、バチカンは北京を怒らせたくない
頼清徳が教皇の葬儀に行けなかった理由は三つある:
一つ目はバチカン要因:バチカンは北京を怒らせたくない。故フランシスコ教皇は中国との国交樹立を使命としていたが、生前に中国訪問の夢を実現できず、バチカンが中国に事務所を設立するという遺志を残した。台湾大学政治学部の張麟徵名誉教授は『風傳媒』の取材に対し、フランシスコを含む歴代の教皇の多くが中国大陸と正式な外交関係を確立することを望んでおり、そのためには台湾との関係を断ち切ることも厭わなかったと分析している。特にフランシスコはこれに熱心で、中国大陸での布教を希望していた。フランシスコは極東訪問の際、飛行機が中国上空を通過すると必ず中国のために祈り、中国に好意を示していた。
しかし、北京はバチカンの中国での活動に警戒心を抱いている。「ソ連崩壊」の教訓を踏まえ、カトリックは組織的に緻密な宗教体系であり、中国で芽生え拡大すれば、「ソ連・東欧・ポーランド」の歴史が再現され、中国共産党政権を脅かす恐れがある。 (関連記事: 舞台裏》トランプの外交政策が二転三転しているのか、それとも頼清徳政権が間違った賭けをしたのか? | 関連記事をもっと読む )
二つ目は北京要因:北京は頼清徳が介入して予測不能な変数を加えることを望んでいない。教皇の葬儀に参列する国際的指導者には、米国のトランプ大統領、英国のスターマー首相、フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相、アルゼンチンのミレイ大統領、ウクライナのゼレンスキー大統領、フィリピンのマルコス・ジュニア大統領などが含まれ、国際的な要人が一堂に会する場となる。学界の分析では、北京は頼清徳のバチカン訪問を妨害することで、トランプを含む国際的指導者との同席を防ぎ、民進党が頼清徳の「国際外交舞台」として利用することを阻止しようとしている。