米中国交『台湾問題』の関門を越え実現 沈志華が語る東アジア情勢:天安門事件後『あの国』が北京を救った

11月29日午前、台湾大学社会科学院胡佛東アジア民主研究センターにて「米中関係と中国の朝鮮半島政策の転換」について講座が開催。華東師範大学歴史学部終身教授・冷戦国際史研究センター所長の沈志華が講演を行った。(張鈞凱撮影)
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朝鮮半島に再び緊張が高まるか。ロイター通信は最近、トランプ陣営が金正恩との直接対話を模索していると報じている。東アジアの地政学的状況は常に米中関係の変化に大きく左右されており、中国の冷戦史権威である沈志華は、米中関係が緩和から国交樹立へと進む中で最後の関門は台湾問題の合意であったと指摘している。また1989年の天安門事件後、中国は多くの国から制裁を受けたが、唯一韓国が支持を表明し、北京のために国際的な仲介を行うだけでなく、両国の経済関係も強化したと述べている。

毛沢東は米国との和解実現のため、米軍が朝鮮半島の安全保障の安定装置であると認める

台湾大学社会科学院フーバー東アジア民主研究センターは29日午前、華東師範大学歴史学部終身教授で冷戦国際史研究センター所長の沈志華を招き、「米中関係と中国の朝鮮半島政策の転換」をテーマに講演を行った。沈志華は中国共産党政権樹立後の朝鮮半島政策を3つの段階に分け、それぞれ毛沢東時期、鄧小平が権力を掌握してから1984年まで、そしてその後1992年の中韓国交正常化までとしている。彼は、米中間の水面下での協議がなければ、朝鮮問題の進展は困難であったと強調している。

沈志華は毛沢東時代から説き起こし、中国の朝鮮政策変化の前提は米中関係の変化にあり、その米中関係変化の前提は1968年のソ連によるチェコスロバキアの「プラハの春」鎮圧事件であったと指摘。この事件により、毛沢東はソ連の中国に対する脅威が最優先の安全保障課題となったことを認識。毛沢東は安全保障戦略の観点から米国との和解を決断したが、イデオロギーの面では世界革命を放棄したくないという自己矛盾に陥っていた。

この時期の米中関係緩和は、主に双方が達成した4つの合意に基づいている:第一に、朝鮮半島の平和と安定の維持は、米中双方の核心的利益が一致する点であること。第二に、双方がお互いの「小兄弟」の政治的地位を認め、将来の関係構築の布石とすること。第三に、双方が自国の同盟国の基本的利益を守りながら、同時に自国の「小兄弟」をコントロールして問題が起きないよう保証すること。第四に、中国が米軍の存在を朝鮮半島の安全保障の「安定装置」として認めることであり、これが最も重要な点であった。 (関連記事: 名医が「台湾人を中国で肝腎移植」に関与、2億円荒稼ぎ! 検察が厳罰求刑:多くの患者が3年以内に死亡 関連記事をもっと読む

1973年11月12日,中國領導人毛澤東在北京與時任美國國務卿的季辛吉握手。(美聯社)
1973年11月12日、中国指導者の毛沢東は北京で当時の米国務長官キッシンジャーと握手を交わした。(AP通信)

沈志華は、当時中国は米国との和解を実現するため、アルバニア、ベトナム、北朝鮮との関係をそれぞれ懐柔し、周恩来は特別に平壌を訪問して金日成に直接説明を行ったと指摘している。金日成は早くから米国との関係構築を望んでいたため、これが後の「交差承認」の契機となった。1973年11月、周恩来は最後にキッシンジャーと朝鮮半島問題の多くを合意したが、毛沢東が四人組の扇動により周恩来を批判したため、1972年の「上海公報」(米中の共同声明)調印後も米中国交正常化は進展せず、中韓関係も停滞した。