台湾・民進党内では、総統頼清徳氏や立法院党団総召の柯建銘氏を中心に、主導権をめぐる動きが取り沙汰されている。その最中、党内派閥「正国会」のリーダー格である林佳龍外交部長は、台北政界の騒音を背に再び表舞台を離れた。思い起こせば7月26日の大規模リコール投票直前、林氏は日本との断交から53年ぶりに外相として東京を訪れ、タブーを破ったばかりだ。今回はさらに南方へと向かい、約70人を引き連れてフィリピンを訪問。首都マニラに加え、地政学的に敏感な地点も歴訪した。北の日本、南のフィリピンと第一列島線の要衝を相次いで訪れたことは、中国の「島嶼突破」への警戒感を改めて示した格好だ。
8月27日午前2時ごろ、マニラで発行される華文紙『フィリピン商報』が記事を掲載し、北京寄りとされる「アジア世紀戦略研究所」副所長アンナ・マリンドッグ=ウイ氏の談話を引用して林佳龍氏の訪比を明らかにした。台湾とフィリピン両政府は最後まで公式には沈黙を貫いたものの、中国外交部は8月29日夜に声明を発表し、フィリピンが林氏の「違法な訪問」を容認したと強く非難。論調は1か月前の日本訪問時と同じく厳しいものであった。台湾外交部の呉志中政務次長は林氏について「海外任務中」と説明するにとどめ、具体的な目的には触れなかった。
民進党の頼清徳総統(写真)と柯建銘党団総召は、党内権力闘争という「茶壺の嵐」に巻き込まれている。(写真/柯承惠撮影)
「東京モデル」から「マニラモデル」へ 1971年に中華民国が国連を脱退した後、1972年に日本、1975年にフィリピン、1979年に米国が相次いで台湾と断交した。米国務省や日本外務省は長年にわたり、台湾の総統、副総統、行政院長、国防部長、外交部長といった要職の訪問を認めない「ブラックリスト」を維持してきた。フィリピンも自国官僚の訪台を厳格に制限してきたが、台湾からの訪比には例外もあった。1997年には外交部長だった章孝嚴氏(現・蔣孝嚴氏)が「休暇」を名目に訪問し、さらに1994年には李登輝総統が「休暇」で渡航し、当時のラモス大統領と会談している。
林氏の7月訪日が「東京モデル」として53年ぶりの突破口を開いたのに対し、今回のフィリピン訪問は1961年に沈昌煥外交部長が韓国・ベトナム・フィリピンとの「四国外相会議」に出席して以来、64年ぶりに外相が公務としてマニラに足を踏み入れたものであり、新たな「マニラモデル」と位置づけられている。
李登輝元総統(写真)は1994年、「休暇」を名目にフィリピンを訪れ、当時のフィリピン大統領フィデル・ラモスと会談した。(写真/林韶安撮影)
出発数日前に最終決定 水面下の交渉は半年以上前から 日本訪問は約1か月前には行程が固まっていたが、今回のフィリピン訪問は直前まで最終決定が下されなかった。ただし、外交部や駐フィリピン代表処、国際協力発展基金などは早くから調整を進めていた。林氏が6月13日に在台フィリピン機関「マニラ経済文化弁事処(MECO)」の国慶レセプションに出席するよりも前から、双方は頻繁に協議を重ねていたという。最終的に林氏が団長として訪問することが決まったのは、出発のわずか数日前だった。
林氏一行の訪問は徹底して秘匿され、外部が知ったのは『フィリピン商報』の記事やフィリピン上院外交委員会での質疑を通じてだった。台湾外交部が初めて公式声明を発表したのは、林氏が8月30日夕に帰国した後。声明には「林佳龍氏の調整の下、駐フィリピン台北経済文化弁事処とマニラ経済文化弁事処の緊密な協力で実現した」とだけ記され、本人の出発については一切触れられなかった。
ただし、日本訪問時と異なり、今回は外交関係者があっさりと「林氏の訪比は事実」と認めている。2025年前半から準備は始まっており、台湾とフィリピンの間には一定の善意と暗黙の了解が存在していた。訪問団の最終調整が難航したため正式発表は直前になったが、行程や発表内容を詰めたうえで林氏が率いる形となった。
台湾とフィリピンは林佳龍訪問をめぐり長らく水面下で協力してきた。写真は林佳龍氏がマニラ経済文化弁事所の国慶祝賀パーティーに出席した様子。(写真/外交部提供)
「経済・貿易」名目の訪問団 フィリピン政府高官とも接触 台湾とフィリピン双方の「暗黙の了解」に基づき、今回の訪問は表向き「経済・貿易性質」の調査団とされた。農業部の黄昭欽政務次長と中華民国国際経済合作協会(CIECA)の呂桔誠理事長が率いる形で、電機電子工業同業公会、国際半導体産業協会、全国工業総会、全国イノベーション起業総会などの団体代表が参加。団員はICT、半導体、エネルギー、AI、スマート製造、港湾施設、スマート農業・畜産、コールドチェーン物流、食品加工、観光と幅広い産業を網羅し、8月25日から30日にかけてフィリピン各地で投資や協力の可能性を探った。
台湾外交部は8月28日に『風傳媒』に提供した情報で、今回の訪問団はフィリピン政府や産業園区管理当局から高い関心を受け、現地の関連業界団体とのマッチングも行われたと説明。関係者によれば、林佳龍氏が率いた実質的な経済考察団は、フィリピンの基地転換開発庁(BCDA)や財務省などの行政機関とも会談していたという。
台湾投資貿易考察団は、呂桔誠・国際経済合作協会理事長らが中心となって率いた。(写真/顏麟宇撮影)
米台商会と「同行」 第三国協力は周到に準備されていた 注目すべきは、林佳龍外交部長が今回、約70人規模の大訪問団を率いてフィリピンに入った点だ。台湾側からは農業部、中華民国国際経済合作協会(CIECA)、各種産業団体、企業関係者が参加したが、そこに米台商業協会(US-Taiwan Business Council)のロッタ・ダニエルソン副会長が加わり、林氏と共同で団を率いた。外交関係者は「台湾が米国と手を組み、共同で経済貿易団を第三国に派遣し、それを公然と発信できたこと自体が大きな意味を持つ」と語り、これまでのケースと比べても極めて異例だと指摘する。
実際、フィリピン外交部長のマリア・テレサ・ラザロ氏は8月27日、同国上院外交委員会の公聴会で「台湾の経済使節団が林佳龍氏の率いるものだったのか」と問われた際、「林氏が訪問したかどうかは確認していない」と述べ、外交部としては「訪問団は米台商会のダニエルソン副会長が率いたと聞いている」と説明した。林氏が今回、米側代表と同行し、米台商会に「表向きの看板役」を担わせた背景には、すでに5月にCIECAと米台商会が覚書(MOU)を結んでいた経緯がある。当時、林氏は「パートナー機会考察団(POD)」の枠組みの下、「米台商会と共にフィリピンに入り、ビジネスチャンスを開拓する」と予告していた。
さらに、台湾と米国による「第三国での協力」はこの1年余り着々と準備されてきた。バイデン前政権の時期、2024年4月には米国、日本、フィリピンが「ルソン経済回廊」構想を打ち出し、インフラ・投資協力の枠組みを整えた。台湾側も頼清徳政権発足後、林氏が掲げる「栄邦計画」の一環として「台比 経済回廊」を位置づけ、米日菲の取り組みと接続する方針を示した。外交関係者によれば、行政院の経済外交ワーキンググループは林氏の主導で2024年に「台比 プロジェクトチーム」を設立し、各部会の資源を統合してフィリピン政策を調整。国家科学技術委員会が推進する「南部新シリコンバレー」構想とフィリピン北ルソン島を結びつける作業を進め、台比 の協力強化を狙ってきた。
フィリピンのラザロ外相(右)は上院外交委員会で、台湾の経済貿易訪問団を林佳龍氏が率いたかと問われ、「不明」と答えた。同訪問団は米台商会のロッタ・ダニエルソン副会長が率いていたとされる。写真はマルコス大統領(左)とラザロ外相。(写真/フィリピン外務省公式サイト)
アメリカ議員訪台と「すれ違い」も 林氏の行程と重なる部分 一方で、林佳龍氏が訪比中の8月下旬、米上院軍事委員長ロジャー・ウィッカー氏と共和党のデブ・フィッシャー議員が台湾を訪問。林氏は直接接待できず、外交部の陳明祺政務次長が応対した。林氏は現地から情報をフォローし、帰国直後の8月30日夕方にはSNSに約800字の長文を投稿して存在感を示した。
興味深いのは、ウィッカー氏らの訪台行程が8月22日から始まり、複数の太平洋米軍基地を経由したのち、29日にマニラから台北へ移動した点だ。林氏と米議員らはフィリピン滞在時期が一部重なり、いずれもマニラ近郊のスービック湾を訪れていた。台湾外交の現場と米議員の動きが偶然交錯した格好であり、その象徴性も注目されている。
米上院軍事委員会のウィッカー委員長(中央)とフィッシャー上院議員(左二)は台湾を急訪。その直前の訪問国はフィリピン・マニラだった。(写真/外交部提供)
台比の安全協力は水面下で進行 林佳龍氏、米比軍事拠点を訪問 今回、林佳龍外交部長が率いた訪問団が足を運んだのは、マニラから半径百数十キロ圏にあるスービック湾やクラークなど、かつて米海軍・空軍の重要拠点だった場所だ。近年は「基地転換・開発庁(BCDA)」を通じて民間と連携し、経済特区として再開発されてきたが、台海・南シナ海をめぐる緊張が高まる中、フィリピン政府は米軍の再駐留を容認した。そして林氏らが訪れたルソン島北部の北イロコス州は、2024年の米比合同演習「バリカタン(Balikatan)」や、2025年の「カマンダグ(Kamandag)」演習の主要拠点にもなっており、その戦略的意味は明らかだ。
米比が2025年5月末から6月初めにかけて行う「カマンダグ」合同演習では、台湾の海軍と海兵隊が初めて観察団を派遣している。さらに林氏の訪比の1カ月余り前には、フィリピン海軍西フィリピン海担当報道官のロイ・トリニダード少将と、フィリピン沿岸警備隊のジェイ・タリエラ報道官が台北を訪れ、台湾の「第二の海軍」とも呼ばれる海巡署の黄宣凱艦隊分署長と同じフォーラムに登壇していた。
外交筋は「台湾とフィリピンの間では、すでに安全保障面で多くの協力が進んでいる」と打ち明ける。海洋安全をめぐる交流に加え、民間防衛や社会的レジリエンスの分野でも協力が続いてきた。実際、現在フィリピン駐在の台湾代表処には2人の副代表がおり、その1人は退役中将で前空軍副司令、そして国防安全研究院副執行長を務めた李廷盛氏である。つまり台比の安全保障協力は、すでに「水面下で進んでいた」といえる。
林佳龍氏が訪れた地域は、米比合同演習「バリカタン(Balikatan)2024」や「カマンダグ(Kamandag)2025」の主要な演習地でもある。写真は米比合同演習の様子。(写真/AP通信)
南シナ海での中国の横行 フィリピン国民の大半が「最大の脅威」と認識 親米色を強めるフェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領の就任後、フィリピンは依然として「一つの中国」政策を維持しつつも、台湾との関係を着実に強化している。ただし、国内には反対意見もあり、マルコス家内部ですら見解が分かれている。林佳龍氏の訪比が明らかになった際、上院外交委員会でこれを追及したのはマルコス氏の姉イメルダ・マルコス上院議員だった。彼女は「林氏は台湾独立を推進する人物であり、訪問は中比外交に波風を立てる」と批判した。
一方で、同じ委員会でエルウィン・トゥルフォ上院議員は異なる見解を示し、中国が「恣意的に」南シナ海へ侵入し、フィリピンの海軍や沿岸警備隊、漁民を繰り返し威嚇していることを挙げ、政府に対し「一つの中国」政策の見直しを促した。外交関係者によれば、2025年はフィリピンと中国の国交樹立50周年に当たるが、政府は記念行事を意図的に控えめに行っており、南シナ海問題が両国関係に影を落としていることを示している。さらに現地世論調査によると、85%のフィリピン国民が中国を「信頼できない」と答え、74%が「最大の脅威」と認識している。その主因は、南シナ海における中国の強硬な行動だ。
フィリピンと中国は南シナ海で深刻な領有権争いを抱えており、国民の多くは中国を信用せず、一中政策にも揺らぎを与えている。(写真/AP通信)
台比関係は急接近 象徴的行動から制度的協力へ 台湾とフィリピンの関係強化は、象徴的なレベルを超えつつある。2024年1月、頼清徳氏が台湾総統に当選すると、マルコス大統領はSNSで「台湾の次期総統(Taiwan’s next President)」と呼んで祝意を表した。歴代フィリピン大統領の中でも異例の表現である。
その後も具体的な前進が相次ぐ。2025年4月、フィリピン大統領府は「1989年以降の対台湾交流制限を緩和する」とする第82号通達を発表。副総統や外相、防衛相などを除き、その他の政府高官は「肩書を使わない」ことを条件に訪台可能となり、経済・貿易目的で台湾代表団を公式に受け入れることも認められた。さらに6月には、外交・公用旅券を除いた台湾パスポート保持者に対し、7月1日から14日間のビザ免除を実施すると告知した。
こうした制度的な緩和を受けて、台湾の莊翠雲財政部長が4月末に極秘に訪比し、フィリピン側と「二重課税防止協定(ADTA)」に署名。林佳龍氏の今回の訪比は、その土台の上で米台商会と共同訪問団を率いるかたちで実現した。
台湾の荘翠雲財政部長(写真)は4月にフィリピンを訪れ、「二重課税回避協定」に署名した。(写真/顏麟宇撮影)
台比接近の一方で政局には不安定要因も ただし、台比関係の深化が進む一方で、不安要素も残る。マルコス家内部の意見対立に加え、親中派とされるロドリゴ・ドゥテルテ前大統領一族の影響力が依然として強い。2025年5月の中間選挙では、改選12議席のうちドゥテルテ派が5議席を獲得し、マルコス陣営に打撃を与えた。外交筋は「議会の勢力図次第で、台湾との協力案件の進展にも影響が及ぶ」と分析する。
つまり、林佳龍氏が掲げる「総合外交」―価値外交に加えて経済・貿易の枠組みを活用し、サプライチェーンの安全保障や地域経済の強靱性を打ち出していく戦略―が真に成果を上げられるかは、台湾側の努力だけでは決まらない。地域全体の政治力学と国際環境という条件が大きく作用するのだ。