参議院選挙で大敗を喫した自民党では、首相交代を求める声が急速に広がっている。石破茂首相は続投の意向を示しているものの、党内各派はすでに動きを見せ、両院議員総会の開催を視野に指導部の去就を議論する構えだ。自民党が政権交代に向けてカウントダウンに入るのかが焦点となる。一方で、安倍派や旧来の盟友は依然として党内に影響力を保ち、党の行方に一定の影響を及ぼしている。
安倍晋三元首相に近い重鎮たちは、選挙後に活発な動きを見せ始めた。かつて安倍派の中核だった萩生田光一氏は石破首相の辞任を公然と要求。安倍政権で多くの要職を務めた麻生太郎氏や前自民党幹事長の茂木敏充氏も頻繁に会談を重ねており、保守系議員の結集と政権交代の準備が進んでいるとの見方が広がっている。支持基盤が揺らぐ中で、石破氏が政権を維持できるかは不透明で、小泉進次郎農水相や安倍派を継ぐ高市早苗氏の名前が次期首相候補として浮上している。
現職の石破茂首相(右)は政権運営の危機に直面し、故・安倍晋三氏(左)の派閥に属する重鎮たちが次々と動きを見せている。(写真/AP)
東京媽祖廟の詹徳薫氏、台日交流を20年以上牽引 安倍派は首相ポストに挑戦できる実力を持ち、仮に首相を獲得できなくとも党内での影響力は依然大きい。その台湾との縁は、安倍氏の外祖父である岸信介元首相が蒋介石元総統と緊密な関係を築いた時代に遡る。安倍氏本人も台湾との関わりは深く、長年日本に滞在した金美齢氏や、母の安倍洋子氏のために作品を描いた台南出身の画家・陳香吟氏とも親交がある。頼清徳総統も副総統時代に「至親摯友」として安倍氏の葬儀に参列した。
その中で、外界にあまり知られていない存在が東京媽祖廟の会長、詹徳薫氏だ。詹氏 は『風傳媒』の取材に対し、安倍家との日常的な交流を通じて日本僑界で20年以上活動し、地域の友好から国会人脈へとつなげてきたと語る。支援会を設立して台湾支持の国会議員を後押しし、龜井静香氏らの協力を得て僑界の力を結集。最近では「国会之窗」と名付けたプラットフォームを通じて台湾関連の議題を推進している。しかし政界の変動や後継者不在の課題を前に、今後の方向性を模索しているとも明かした。
1968年に日本へ渡り、半世紀以上にわたり僑界を牽引してきた詹氏は、2013年に東京媽祖廟を建立し会長を務める。新大久保から東京都庁にかけての一帯を「媽祖街」として台湾文化の拠点にする構想を掲げ、台湾同郷会や台商会、華僑総会など数多くの組織で要職を歴任。2023年には日台交流協会から個人表彰を受け、現在も僑務諮詢委員として活動を続ける。
東京・新大久保から都庁周辺を「媽祖街」として台湾文化の拠点に育ててきた東京媽祖廟の詹徳薫会長(写真)。日本の台湾僑界を代表する存在だ。(写真/黄信維撮影)
政党を超えて台日をつなぐ「橋渡し役」 詹氏は「頼清徳之友会」顧問として、民進党の頼清徳氏が大統領選に挑む際に日本僑界での人脈構築を支援した。与党との関係を保ちながらも、他党の訪問も受け入れており、2023年には当時台湾民衆党の党首だった柯文哲氏の東京媽祖廟参拝も手配した。詹氏 は「宗教は政党の立場を超えるべきだ。寺はすべての政党に開かれている」と強調する。
日本政界との長年の友好関係により、多くの国会議員が台湾を訪問する際には、詹氏が現地調整や商界との橋渡し役を担う。台日間の政治・経済・文化を結ぶ「政界の重要な橋渡し役」として、今も存在感を放ち続けている。
東京媽祖廟は宗教は政党を超えるものと考えており、詹徳薫会長は「どの党でも歓迎します。うちの廟は開かれています」と語る。(写真/黄信維撮影)
安倍家と肩を並べた犬の散歩、電車通勤時代を知る隣人 詹徳薫氏は、安倍家との最初の接点は生活上の偶然から生まれたと振り返る。かつて住んでいた自宅は安倍晋三氏の家から徒歩1、2分の距離にあり、家族同士が代々木公園で犬の散歩をするうちに親しくなった。「毎日、彼の通勤は私の家の前を通っていたので、自然に知り合うようになった。彼らも犬を飼っていて、我が家も犬を飼っていて、代々木公園までわずか100メートルほどだったので、公園でよく顔を合わせた。住んでいるうちに親しみを感じるようになった」と語る。詹氏は笑いながら、「当時の安倍氏は普通のサラリーマンで、自宅から駅まで歩いて通勤していた。その後、父の安倍晋太郎氏の秘書を務め、議員になった」と話す。
国会議員の支援を始めたのは、商界での人脈を通じてだったという。「もともとビジネスの協力者が、国会議員の親友で、後に台湾を支援する龜井静香氏だった」と詹氏は語る。30代から龜井氏を支援し、彼が自民党内に「青嵐会」を設立する過程で、多くの議員と接触し、基盤を築いた。しかし議員との関係を通じて何かを頼んだことはないと強調する。「30代、40代の若さで、少しビジネスに成功したが、議会に頼むことはなかった」と話す。むしろ、商界の人々が議員を求める場面で、詹氏が紹介役を務めることが多かったという。
詹徳薫氏は安倍晋三氏(写真)とごく近所に住み、安倍氏が政界入りする前から親交があった。(写真/AP)
小さなスタートから先輩に学び、日本の議員と交流 詹氏が僑界に本格的に関わるようになったのは1997年以降で、台湾同郷会会長、台商会会長、アジア台商会会長、華僑総会会長、聯合総会会長を歴任し、僑界を代表する人物へと成長した。「一歩一歩進みながら、台湾の後輩を支える必要に気づき、徐々に日本の議員との接触を増やした」と振り返る。その後、長期的な交流を見据え、後援会を設立することを考えた。
詹氏は、かつて僑界の先輩たちが日本の国会議員と接触を続ける姿を見て学んだという。「聯合総会の先輩たちは議員との関係が非常に良く、台湾に招待したり、日本の議員が訪台すれば接待したりしていた。台湾でも経済界の友人が彼らを歓迎した」と語る。若い頃は僑界の「小弟」として大学を卒業したばかりで、荷物を運びながら先輩の議員との交流を見て学んだと笑う。
安倍家の隣人として、詹氏が最初に設立した後援会は安倍晋三氏の弟・岸信夫氏のためのもので、20年以上の歴史を持つ。安倍氏が初めて首相になった際、在日華僑の後援会で支援しようと考えたが、まずは弟の岸信夫氏を支援することに決めた。詹氏はこれまで、龜井静香氏、平沼赳夫氏、石原慎太郎氏、日華懇会長の古屋圭司氏、安倍派の萩生田光一氏など、多くの親台湾議員を支援してきた。「台湾を支援し、将来大臣や首相になる可能性のある議員を支えてきた」と語る。
詹徳薫氏は徐々に日本の台湾僑界を代表する存在となり、多くの親台湾の国会議員を支援してきた。(写真/黄信維撮影)
安倍家の二本柱を失い、僑界も後継者問題に直面 2022年5月31日、詹氏は東京の明治記念館で「安倍晋三後援会」設立大会を発起し、安倍氏本人も出席し2時間以上滞在した。「年末にもう一度大きな集会を開こうと約束したが、まさか1か月後に暗殺されるとは思わなかった」と語る。現在、この団体は「国会之窗」に改名し、台湾を支援する国会議員を引き続き支援しているが、詹氏は「今は十字路に立っている。年齢も重ね、後継者もいない」と話す。
2025年の参院選では、長年支援してきた親台湾の元参院議長・山東昭子氏と武見敬三氏がともに落選した。詹氏は「ここ数年で安倍氏を失い、岸信夫氏も病で政界を離れ、二つの大きな柱を失った」と述懐する。現在は岸信夫氏の長男・岸信千世氏を支援しているが、まだ若く経験もこれからだという。過去20年間、詹氏は若い頃に先輩たちの議員との交流を見て学び、今や僑界のリーダーとして台日関係の歩みを共にしてきた。「私たちはこれをビジネスに利用せず、純粋な縁で続けてきた。縁があればやるし、縁が尽きれば終わる」と静かに語った。