台湾総統という職に対する敬意から、たとえ少数派の総統であっても一定の光環は伴うものだ。しかし、大規模リコールの惨敗を経た頼清徳氏にはもはやその光環は残っていない。野党からは嘲笑され、与党内からも「事を成せない」と罵声を浴び、頼氏の一挙手一投足はネット上で二次創作のネタにされる始末である。要するに、いまの頼氏は発言力をほとんど失っているのである。それにもかかわらず、頼政権は問題の核心を直視せず、リコールによる民意の反発に対し、的外れな対応しか示していない。
8月23日の投票で「32対0」が確定した夜、頼氏は記者会見を開いた。おそらくリコールの影を振り払い、台湾政治の新たな章を開こうとしたのだろう。しかしその発想は「転型正義」とは程遠いものであった。1年以上にわたるリコール攻防は、与野党の対立を激化させただけでなく、社会に憎悪と暴力的空気を蔓延させた。にもかかわらず、頼氏の会見には謝罪の言葉が一切なく、新たな展望を示すどころか、逆に論争の泥沼にはまり込んだ。
事実、頼氏自身が明確な改革メッセージを発しなかったため、この会見の焦点は「柯文哲氏に対する強引な供述引き出し疑惑」に覆い隠された。さらに、その後に副総統の蕭美琴氏や前総統の蔡英文氏と会談し、団結のメッセージを発するはずが、これも曖昧さゆえにネット上ではコラージュ騒動へと歪曲された。これらはいずれも発言権を失った兆候であり、頼氏はすでに自らが国民に伝えたいメッセージをコントロールできない状態に陥っているのである。
なぜこのような事態に至ったのか。大規模リコールの大敗北が直接の原因であることは明らかだが、頼清徳氏はまるで自らに責任はないかのような態度を示している。この免責意識はどこから来るのか。大規模リコールを推進した曹興誠氏や柯建銘氏は総統府や与党と直接の関わりを持ち、頼氏自身も民進党主席として党員に「市民と共に行動せよ」と呼びかけていた。それにもかかわらず、リコール前後を通じて頼氏は一貫してリコールを「市民の行動」と切り離してきた。与党寄りの学者たちも同様で、台湾大学の顏厥安教授が「大規模リコールは準クーデターであり、事実上の国会解散だ」と指摘したことに強く反発し、あくまで個々の市民による行動だと強調してきた。
しかし、国家と党の基盤を揺るがした大規模リコールをすべて「市民行動」として片づけるのは、まるで毛沢東が文化大革命を紅衛兵の自発的行動と説明したのと同じくらい滑稽である。実際、権威主義的な中国共産党ですら「誤った見通し」という表現を用い、毛沢東に文化大革命の責任を負わせた。にもかかわらず、頼氏と民進党は「誤判」でさえ責任を取ろうとしない。この態度を民主を掲げる台湾の人々がどうして受け入れられようか。
(関連記事: 評論:台湾の頼清徳総統、リーダーシップ欠如の声広がる リコール大敗の余波 | 関連記事をもっと読む )
文化大革命になぞらえるのは単なる比喩ではない。リコールは表向き「市民」によって主導されたため、政党間競争のルールに縛られることなく、手段を選ばず事実を顧みずに在野の国会議員を「親中派」として攻撃することが可能であった。だが、大規模リコールの失敗によって、「習近平が国民党を操っている」との流言は自然に崩れ去った。考えてみれば簡単である。もし台湾の多数派民意が中共の支配を受けているというのなら、民進党は自ら台湾の多数派民意と決別することになってしまうではないか。