国際関係論の巨匠であるシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、著書『大いなる妄想―リベラリストの夢と国際政治の現実—』で、米国が推し進めてきた「リベラルな覇権主義」を徹底的に批判した。自由や民主主義を国際社会に強引に輸出するやり方は「国際紛争を緩和できないどころか、いずれ自国の自由をも脅かす」とし、「国外でのリベラルな介入は、かえって国内を不自由にする」と警告したのである。彼が2018年に「打破すべき大幻象」と断じたこの考え方は、その7年後、トランプ大統領が返り咲いたことで改めて注目を浴びている。だが実際のトランプ外交は、ミアシャイマーらの現実主義とは異なるベクトルを示しており、民主主義の擁護や「世界の警察」を担うことへの関心を失った米国の姿勢は、ウクライナやガザ、そして台湾に冷ややかな空気を漂わせている。
その一方で、台湾の賴清徳総統は先月、ウクライナの国会議員クニツキー氏(Mykola Kniazhytskyi)が率いる超党派議員団を迎え、「両国関係に新たなマイルストーンを築いた」と語った。総統は、台湾が一貫してウクライナ国民と共にあり、人道支援を続けてきたことを強調。さらに「理念を同じくする民主国家が団結してこそ脅威を乗り越えられる」と訴え、復興支援への協力にも前向きな姿勢を示した。
侵略を受ける国を支援するのは当然のことだろう。しかし戦争が4年目に差し掛かろうとするいま、「今日のウクライナは明日の東アジア(台湾)かもしれない」というスローガンが持つ現実的な意味を改めて問い直す必要がある。台湾政府自身も「台ウクライナ間の公式交流は限られている」と認めつつ、「将来、政府や議会、産業や市民社会で幅広い交流が大きく進展することを期待する」といった空疎な言葉を繰り返すだけでは済まされない。台湾のリーダーこそ、このフレーズが突きつける現実と真剣に向き合わなければならない局面にある。
「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」という言葉は、当初は多くの共感を集めたが、その背景にある意味合いは国際情勢の変化とともに複雑さを増している。第二次世界大戦後で最大規模となった欧州の戦争は、もはや単なる地域紛争ではなく、欧亜を横断し世界の大国の思惑が絡む代理戦争へと発展した。その余波はヨーロッパを越え、アジアや台湾の運命とも深く結びついている。この相互連動を理解するには、このスローガンの出自をたどり、その意味が時代とともにどのように変容してきたのかを冷静に読み解く必要がある。
2022年11月、英誌『エコノミスト』は「台湾はアジアのウクライナになるのか?」(Will Taiwan be the Ukraine of Asia?)という大きな問いを投げかけた。当時、国際社会の注目は両者の驚くほどの共通点に集まっていた。民主主義と自由を守る小国が、領土的野心を抱く強大な隣国と対峙する構図である。こうした背景のもと、「今日のウクライナ、明日の台湾」というスローガンは強烈な警鐘として広がった。米国は、ウクライナの粘り強い抵抗が台湾をして従来型の高額な艦艇や戦闘機に依存せず、より柔軟で致命性の高い「ヤマアラシ戦略」(porcupine strategy)を採用する契機になることを期待した。他方、中国にとってはウクライナ戦争が「侵略は泥沼に陥る危険が大きい」という鏡となり、台湾海峡での上陸作戦が陸上戦以上に困難で、失敗は体制を揺るがしかねない現実を映し出すことになった。
戦争初期、このフレーズが持っていたのは主に「警告」と「教訓」という戦略的意味合いだった。台湾に最悪の事態への備えを促す一方で、潜在的な侵略者にはコストの高さを思い起こさせる役割を果たしたのである。
2023年3月、中国の習近平国家主席がモスクワを訪れ世界の注目を集める中、日本の岸田文雄首相はひそかにキーウを訪れ、ゼレンスキー大統領と会談した。二つの同時進行の外交イベントは、東アジアが世界安全保障の分岐点として存在感を高めていることを鮮明に映し出した。同時に、日本が長年の受け身外交を脱し、グローバルな安全保障の重要プレーヤーへと転じた象徴でもあった。岸田氏は2022年6月のシャングリラ会合以降、一貫して「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」(Ukraine today may be East Asia tomorrow)を強調。核保有大国が武力で国境を一方的に書き換える暴挙を許せば、アジアで同様の行為(中国による挑戦)が繰り返されるとの危機感を訴え続けていた。
だが戦争が長期化するにつれ、ウクライナ戦場の性質は根本的に変わった。米シンクタンクRANDの政治学者ジェフリー・ホーナン氏は『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿し、ウクライナは「アジアの大国が関与する代理戦争」になったと指摘した。代理戦争とは、二つの大国が第三国の紛争当事者を支援する形で間接的に戦うことを指す。いまのウクライナはまさにその典型であり、参加するのは欧米とロシアだけではない。中国と北朝鮮は資金や装備、時に兵力までも供与しロシア側を支援。一方で日本や韓国は欧米と足並みを揃えて制裁を行い、致死性・非致死性を問わず軍事支援や数百億ドル規模の援助を実施。日本は輸出規制を緩和し、米軍の在庫補填のため国産パトリオットを米国に移転するという踏み込んだ対応を取った。
ホーナン氏は、こうした動きがまさに代理戦争の論理に合致すると分析する。北京と平壌はロシアの勝利によって米国主導の秩序を揺さぶりたい。他方で東京とソウルは「現状維持派」として、岸田氏の警告を自らの戦略に組み込み、「力による現状変更は許さない」という国際原則を守るために支援を続けている。中国や北朝鮮に対する強力な抑止メッセージでもある。さらにインドの国際政治学者で元国家安全保障会議顧問のラジャ・モーハン氏は、この動きを「ユーラシアの安全保障の相互依存」という戦略レベルへと引き上げた。
モーハン氏は、トランプ大統領再登場のタイミングで「米国の政策がどう変わろうとも、欧州とアジアの安全保障は切り離せない新しい現実が生まれた」と指摘。米国が国際舞台から後退しても、その連結はむしろ強まり、欧州とアジアは権力の空白を埋めるために「強国関係の再編」を迫られるだろうと分析した。欧州はインドなどアジアへの接近を強め、アジア諸国も新たな安全保障の枠組みを模索せざるを得ない。
モーハン氏の視線は台湾そのものではなく、日本の戦略的選択に向けられている。彼に言わせれば「今日のウクライナ、明日の東アジア」という岸田氏の言葉は偶然の産物ではなく、安倍晋三元首相の遺した長期戦略の延長線上にある。安倍氏が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」や、米・日・豪・印による「クアッド」の構想は当初こそ懐疑的に見られたが、中国の膨張と日本の粘り強い推進によって、いまや地域安全保障の中心枠組みとなった。
しかし、トランプ氏が再びホワイトハウスに戻って半年余り、状況は不穏な方向へと動いた。彼はウクライナに領土割譲を迫り、欧州同盟国には従属を強いる構えを見せている。アジアからは「米国が果たして信頼できる安全保障の後ろ盾であり続けるのか」という疑念が浮上。岸田氏の警告は一層重苦しい響きを帯びた。バイデン政権下で西側が一致してきたウクライナ支援が、トランプ氏の政策転換によって脆さを露呈した結果、当初西側に同調しなかった中国やインド、東南アジア諸国の立場がむしろ先見的に見えてきたのである。
モーハン氏は、アジアの安全保障環境は依然厳しいと警告する。中国の影響力はロシアの欧州での存在感をはるかに上回り、ヒマラヤでの領土紛争や東シナ海・南シナ海での摩擦は続いている。もしロシアが武力による領土獲得を実現し、代償を払わずに済むなら、中国が同じことを海上で試みる懸念は一層強まる。最も危険に晒されるのは言うまでもなく台湾である。
トランプ政権が体現する「アメリカ・ファースト」は、経済的利益を安全保障の上に置く姿勢を隠さない。もし同盟国の安全保障上の懸念が、米中関係の安定という大統領の思惑に反するなら、その懸念は切り捨てられる可能性がある。エコノミストや岸田氏の警告が本来訴えていたのは、侵略を防ぐため国際規範を守る必要性だった。だが今やその言葉は「米国に依存すること自体が最大のリスクになり得る」という新しい意味を帯びている。モーハン氏はこう結論づける――米国の約束は揺らぎやすく、アジアの安全保障は最終的に自らの肩にかかっているのだ。
こうした現実の中で、モーハン氏の「欧亜の相互依存」論や安倍氏の戦略遺産と並べて考えるとき、訪台した外国議員団に向かって賴清徳総統が口にした「民主国家の団結」の言葉は、果たしてどのような意味を持つのだろうか。